インベスターHこと、ひーちゃんです。

読者の皆様はIBM の歴史について知っていますか?2019年1月頃から徐々にではありますが、IBM の株価が上がってきています。この機会をチャンスだと捉え購入を検討している方も多いと思います。そんな方やそもそもIBM のことをあまりよく知らない方向けに、上場一部のIT 企業に勤める社員 兼 個人投資家がIBM の歴史について語っていきます。

IBM の前身であるC-T-R 社が1911年頃にジョージ・ウィスロップ・フェアチャイルドさんの手によって創立されたのが、IBM の歴史の始まりです。C-T-R 社は秤やタイム・レコーダー、皆生機などを製造していた小さな会社になります。

それから1世紀という時間が経ち、IBM は世界で40万人を超える従業員を抱えるグローバル企業に成長しているのです。現代でもIBM が特許を持っている技術は多く、IBM 製品が減っていると言われてもIBM は私の生活を裏から支えていることが多いのです。

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  始まりは小さな会社

 1911年に創立されたC-T-R 社はいくつかの合併を経て設立された企業であり、C-T-R というのは各会社の頭文字をとったものになっています。

C ・・・ Computing Scale Company of America 社(食肉スライサーや秤のメーカー)
T ・・・ Hollerith’s Tabulating Machine 社(パンチカード式事務処理機メーカー)
R ・・・ International Time Recording 社(商用時計メーカー)

1914年にCEO として迎えられた、トーマス・ジョン・ワトソン・シニアさんは出来たばかりの複合企業を、1924年にはIBM (International Business Machines Corporation)と改名する企業に再構築しています。

ワトソンさんは厳密には創立者ではありませんが、1914年でCEO に就任してからその後のIBM が大成長をする過程で、欠かせない人物となっており、実質上のIBM の創立者とされているのです。

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 ワトソンさんがCEO に就任した当時、C-T-R 社はタイム・レコーダーや計量器、パンチ・カード式会計機を作来ることがメインの会社でした。

複合会社になってから会社が大きくなりつつあるC-T-R 社は初めての米国外のオフィスを開設することになります。

その場所はブラジルであり、ブラジルでのIT 発展での指導的役割を果たすようにもなりました。ワトソン さんはその後の30年間、これに続くオフィスを順調に増やしていき、1948年にはサンパウロ、リオデジャネイロ、サルバドル、フォルタレザ、ベロオリゾンテをはじめとするブラジルの多くの大都市で見られるようになりました。

このように会社が大きくなる過程でポイントだったのが「発明に対する投資方針」です。IBM が将来的に様々な技術を生み出したのには、この発明に対する投資方針が確立していたためです。


 1917年に技術者兼発明家であったジェームズ・W・ブライスさんを迎えたワトソンさんは、発明への投資を約束しています。

ブライスさん率いるチームは、IBM を知的財産の創造とその保護を行う推進企業として、その地位を確立したのです。1922年頃のIBM の従業員数は2,043人、売上高は900万米ドル、純利益は100万米ドルと成長し始めます。

それから少し経った頃ワトソンの研究開発への投資は成果を現し始め、1929年までにはIBM製品の9割がその研究開発から生まれてきたもので占められるようになります。

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  電子計算機の誕生

 1931年にIBM は会計機「IBM 400」シリーズと、乗算/除算の計算機「IBM 600」シリーズを発売しています。

シリーズのIBM 603 は世界で最初に作られた電子計算機であったと同時に、電子演算回路を組み込んだ、世界初の商用製品でした。

この頃には他にも世界初となる自動除算パンチマシン「Public Utility Billing Machine」と、自動再生パンチマシン「Electroprint Time Stamp」など、画期的な新製品を次々と発表していきます。

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IBM 402


 それからさらにブライスさん率いるチームは、1940年に真空管を使って加算・減算を行う手段を発明することにも成功しました。これは1950年代にビジネスを大きく変えた完全電子式のコンピュータの原型となっています。

IBM のイノベーションから知的財産を創出するというスタイルが「IBM の歴史」を創りあげたのです。

この発明された真空管方式を実装したIBM 初の商用コンピュータ「IBM 701」が1952年に発表されました。そして後にIBM は1分間に22万9000の計算を来なうことができる「IBM 7090」を発表しています。

mm140326_ibm5IBM 7090


IBMにとってこれら製品の開発は、機械的演算から電子演算への大きな転機となりました。

1952年頃には、2,000 人だった従業員数は約20倍の4万1,458人となり、売上高は4億1,200万米ドル、純利益は4億1200万米ドルの超大企業となっています。

  メインフレームコンピュータ

 IBM は1959年に、世界初の大容量のプログラム内蔵型、コア・メモリーおよびトランジスター使用のメインフレーム・コンピュータ「IBM 1401」を発売しました。

あらゆる業務用アプリケーションに対応できたIBM 1401は、1960年代初頭に世界で最も使用されたコンピュータ・モデルとなり、世界で初めて販売台数10,000を越えたコンピュータ・システムです

また、IBM は1403チェーン式プリンターも発売し、高速大容量出力の時代へと世界をリードするだけでなく、1970年代にレーザー・プリンターが登場するまで圧倒的なクオリティーで世界を席巻していました。

1401

IBM 1401


 1964年、IBM は「System/360」を発表しました。これもIBM のメインフレームコンピュータシリーズです。50億米ドルという破格の開発費をつぎ込んであり、当時は “ IBM 創設以来、最も巨額で、最もリスクの大きい製品だ ” と言われていまいた。

しかし、コンピュータが現代ビジネスの成功に欠かせない要素であると明確に認識されるようになったのは、1950年代から1960年代、特にIBMのシステム/ 360が発表された1964年のことでした。

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IBM /360


この頃から企業は、コンピュータやデータセンターを手に入れ始めるが、開発や管理するための知識やスキルを企業側が持っていなかったため、IBM は世界中の企業がデータ・プロセッシングのノウハウを学ぶための支援を行いました。

この支援を通して生まれたマネジメント・インフォメーション・システムは世界中に広がり、同時に現在でもITエンジニアの憧れの役職の最高情報責任者(CIO)という新しい役職が登場したのです。

  THINK の先へ

 ワトソンさんは、常に自社の社員に向かって「もっと考えろ!」と怒鳴ったと言われています。

彼は「THINK(考えよ)」と書いた紙をアシスタントに手渡し、その言葉が入った楯を作って配るようにと命じました。

ワトソンさんはこの「THINK」というスローガンを掲げ続け、C-T-R 社からIBM に社名変更するときもこの「THINK」はあらゆるところに掲示されるようになっており、IBM の象徴として広く認知されるようになっていきました。

ワトソンさんの根幹にあった考え「THINK」を合言葉に、ワトソンは社員一人ひとりの自由な思想と情熱のこもった業務を遂行する企業文化を創りあげており、世界中の社員を力づけています。

THINK_at_Lincoln_Center_by_IBM


 ワトソンさんはCEO として社員が誇りをもって仕事ができるように常に配慮していました。1934年、彼は当時一般的であった出来高賃金制度を取りやめ、異例の時給制を導入しました。

その後も時給制を採用し続けたIBM は、1958年に産業界としては初めて全時給制正社員を「給与制」に切り替えました。この給与制の導入により全社員に平等な報酬制度が適用され、公平で経済的に安定した職場環境を実現しました。

このようにIBM はテクノロジーで世界をリードするだけでなく、私達の現在のスタンダードになっている働き方の確立まで行っていたのです。

◆次の記事
【IBM】現代でも利用される数々のテクノロジーを生み出した、米国特許取得数24年連続No.1 の研究機関。(Coming Soon.)


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IBMを世界的企業にしたワトソンJr.の言葉
 IBMの創業者、トーマス・ワトソンの息子である著者が、IBMのCEO(最高経営責任者)時代に著した経営書。絶版だったものを復刊した。